会の歴史

創立から受け継がれるDNA

公益社団法人 群馬県柔道整復師会

頌徳碑

群馬県柔道整復師会の会長を務めた
関口孝五郎先生と永井壽雄先生の功績を称えて建立。
両先生の精神や偉業を会員の心に刻み
会発展の礎とする

当会は大正11年に7名の先達により任意団体として発足。昭和8年には 「群馬県柔道整復師会」として知事の認可を得ました。 その後、幾多の苦難と会名の変遷を経て、36年目の昭和44年11月10日付けで 社団法人群馬県接骨師会の設立認可を受けました。以来長きにわたり活動し、 平成25年3月18日付けで群馬県知事より公益社団法人の認定書が交付され、 同年4月1日に登記を完了しています。

頌徳碑

群馬県柔道整復師会の歩み

1919年
(大正8年)
内務省令によって柔道整復師の身分法が公認。
1920年
(大正9年)
警視庁で第1回柔道整復師試験が実施され、全国で163人が合格。
1922年
(大正11年)
大日本柔道整復師会の発足に呼応して群馬県接骨師会がスタート。
1933年
(昭和8年)
県知事から群馬県柔道整復師会として公認。
1936年
(昭和11年)
柔道整復師の保険取り扱いが認可される。会員が倍増し、県下に柔道整復師会支部が誕生。
1954年
(昭和29年)
会名を発足時の群馬県接骨師会に戻す。
1969年
(昭和44年)
月刊会報「ぐんせつ」を創刊。社団法人の認可が下りる。
1970年
(昭和45年)
群接会館が落成。
1974年
(昭和49年)
増改築になった群接会館で第1回関東柔道整復学会を主管。
1983年
(昭和58年)
あかぎ国体で本県柔道が初の総合優勝。大会役員として群接会員が活躍。
1985年
(昭和60年)
第7回関東柔道整復学会を前橋市で開催。
1992年
(平成4年)
第14回関東柔道整復学会を前橋市で開催。
1996年
(平成8年)
群馬県柔道整復師協同組合が発足。施術材料などの共同購買や団体保険集金業務を開始。
1998年
(平成10年)
県中小企業団体中央会の指導で、国と県の助成事業である活路開拓ビジョン調査事業に着手。組合幹部10人を含む委員会でまとめた報告書を提出。
1999年
(平成11年)
第21回関東柔道整復学会を渋川市で開催。群馬県接骨師会創立77周年・ 社団法人設立30周年・協同組合設立3周年記念事業として、 関口孝五郎、永井壽雄両元会長の頌徳碑を群接会館の前庭に建立。 米倉大謙書の看板30年ぶり制作。記念誌「ザ・グンセツ」刊行。
2005年
(平成17年)
12月「かけこみ110番の家」運動を開始。 「みんなをまもる接骨院」を統一テーマに 「安全安心な地域づくり」を目指して防犯 活動推進に協力。
2006年
(平成18年)
第28回関東柔道整復学会を前橋市で開催。 また、群馬県接骨師赤十字奉仕団として 日本赤十字社群馬県支部の防災ボランティアに全会員を登録。
2007年
(平成19年)
新潟県中越沖地震の救護活動に日本赤十字 社群馬県支部からの派遣要請を受け、群馬 県接骨師赤十字奉仕団緊急出動隊の会員が、 日赤医療チームの一員として災害救護活動に参加。
2009年
(平成21年)
群接会館改築。また旧会館跡地に多目的 ホールを建設。 9月には(財)柔道整復研修試験財団による 卒後臨床研修・医療人(柔道整復師)研修 講座が群馬県で開催された。
2010年
(平成22年)
群馬県接骨師赤十字奉仕団災害救護救援緊急出動隊を発足。群接会館で結団式。
2011年
(平成23年)
東日本大震災の救護活動に日本赤十字社群馬県支部からの派遣要請を受け 接骨師赤十字奉仕団緊急出動隊の会員が、日赤医療チームの一員として災害救護活動に従事。 7月には公益健康月刊「げんき」を創刊。
2012年
(平成24年)
新潟中越沖地震・東日本大震災救護活動報告集を刊行。
2013年
(平成25年)
第35回関東学術大会群馬大会を高崎市で開催。 4月には公益社団法人へ移行。
2015年
(平成27年)
会称を群馬県柔道整復師会に変更。4月には、群馬県と災害時の医療救護に関する協定を締結。
2018年
(平成30年)
県警察本部と防犯協定締結。